豊陵資料室だより 第17号 10年春の号

豊陵資料室が新しい一歩を踏み出します

「豊陵資料室は平成十三年豊陵会が立ち上げた。 本来は豊中高校傘下の一機構であり、当然学校側から選ばれた先生と豊陵会側の資料室部員が維持運営に当たるべきであろう。
 この点についての改善が両者間で検討された結果「資料室」を設置する他校のケースも参考にして、新年度より学校側から毎年「校務分掌」の中に若干名の資料室担当の先生が置かれることになった。
 これによって「資料室」は学校と豊陵会が共同運営するという意識が高まり 「九十周年」更に「百周年」に向っての運営が円滑に行われるものと期待される。

「クラブの特別展」に応募されては・・・

資料室からの大きな広告

資料室のクラブを中心とする「特別展」、今年は「放送部」を採り上げる予定であったが、同部OB会長から「資料を集める余裕が欲しいから来年に」との連絡があった。 資料室では、時に「私のクラブは何時」という声も聞く。 
 豊中(トヨチュウ)・豊高を通じて最古のクラブ「水泳部」を始めとする運動系クラブ、戦前の「虫の会」「星の会」の流れを汲む「生物研」「地球物理研」等々の学術系クラブ、昔からの伝統を保持し続ける「図書部」「美術部」それに加えて音楽系、また一時期人気を博したオチケン(落語研究会)等々いずれも捨て難いクラブが多い。
 資料室としては、今後は二三のクラブだけに留まらず、一度に多くのクラブを採り上げることも考えている。 各クラブの永い歴史を追うだけでなく、ある時期「我がクラブではこんなことがあった」などという情報をもとにして資料を持ち込んでもらえたらユニークな「クラブ展」が開けるのではとも思う。
 各クラブのOB会の皆さん一度お考え願えませんか。

「バドミントン」「柔道」「重量挙」今年の「特別展」

第7回特別展は近年活躍のめざましい「バドミントン」と過去のクラブになってしまった「柔道」「重量挙」(ウエイトリフティング)に焦点を当てた。

◆バドミントン部  昭和二十七年に大阪総体で三位入賞の女子選手の名がみえるが、部としての正式な活動は昭和三十七年代後半からである。
 昭和期は目立った記録としては、男女とも二度ずつの近畿大界出場。
 しかし平成期になって中田顧問時代に培われた若芽が山本顧問になって成長したといえそうである。 
 二十一世紀に入ってから、府下の各種大会で二部とはいえ七回の優勝も獲得しており、学校の玄関の上に掲げられる「近畿大会出場」の横断幕にバドミントンの名は常に連ねられている。 全国大会に手の届く手前まで来ている若い層の努力を、下積み時代を支えた先輩諸氏の記録と共に紹介したい。

◆柔道部  五十二期生の卒業アルバムに載せられた、たった一人の部員の姿を最後に昭和二十六年創設の伝統が途絶した。(休部中というべきか)
 在学中に二段になり、柔道部創設に尽力した高十三期直井義明氏や、昭和三十一年より十二回続いた桜塚高校との親善大会である豊桜定期戦では十人抜きの快挙を果たした高十二期杉浦国祐氏などの実力者の活躍を中心に部の歴史を追った展示が主である。
 女子六人が全員有段者という高四十一期も紹介している。

◆重量挙部(ウエイトリフティング)  昭和二十八年から約十年間、ハンドボール部と共に本校では国体を始めとする全国大会の常連であった。 
 柔道部を指導した田中繁之先生は本校ハンドボール部育ての親といわれる馬場太郎先生が晩年重量挙にも造詣が深いことから二人で重量挙部を立ち上げた。 柔道部と掛持ちから始めた部員も多いが、二人の先生の好指導が本校重量挙のレベルを引き上げたと思われる。
 インターハイ優勝の高八期福島啓介氏、高十五期矢守力氏、国体では団体四位、重量挙は多士済々、彼らは名前が展示されるが同時代の卒業生には思い入れも多いのではと思われる。

 なおこの他に、部は存在しなかったが個人的にフェンシングで活躍した卒業生の特別展示コーナーを設けたい。

4回目の修学旅行写真展

63期生の「修学旅行写真展」が今年も6号館の廊下を飾った。
 この企画も既に4回目。 生徒の関心もさることながら場所柄、森川ホールで行われるPTA関係の諸会議などで来られるPTAの方々も興味を持たれるようになってきた。
 今年度の応募者22名、延べ33点の作品の中から会長賞に2年1組吉村美慧さんの3点組写真に決定。 選定に当たっては生徒の写真についての技倆の向上が伺える。