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第2回クラブ特別展:ハンドボール部

第3回全日本送球東西対抗戦に中学16回生 斉藤 浩氏出場

昭和17年10月25日 第二回全日本中学選手権大会優勝
豊中中学送球部 初の全国制覇を成し遂げる

日体運動場にて優勝記念写真
後列 鬼沢、?、三木、富川、村上、馬場先生、岸、八隅、山名、西村、?
前列     黒田、宮崎、 桂、   小中、   吉村、 平岡、   泉谷

昭和21(1946)年11月3日 国民体育大会 

倉敷鉱業に圧勝して昭和17年に続き2度目の全国制覇

国体初出場に全生徒が応援に駆けつけた
(昭和21年 西宮球技場にて)
白のTの人文字で応援する豊中応援団
(昭和21年 西宮球技場にて)
優勝メンバー 左から堀尾、佐伯、斉藤、萬石、小袋先生、勝、梅垣、北村、国重、渡辺、熊倉、土田 表彰状を受ける北村主将
西日本大会に優勝のメンバー(昭和22年) 数々の優勝旗・盾を手に卒業記念(昭和23年)

ナンバ粉対保有米

昭和22(1947)920日 豊陵新聞 第8

47年夏、前年秋の第1回国民体育大会ハンドボールの決勝の優勝を争った岡山県倉敷工高チームが親善試合に本校を訪れた。 そのときの応援席での「ヤジ合戦」の模様を報じた見出しが「ナンバ粉」対「保有米」。 試合・応援ともにナンバ粉が保有米を破った。 戦後の食糧不足でナンバ粉(トウモロコシの粉)を小麦粉と混ぜて苦心してパンにして食べている「都会チーム」(本校)と、穀倉地帯にあって「保有米」(農家が国に供出した残りの自家保有の米)を十分に食べている「農村チーム」(倉敷)との大戦という意味を簡潔に表現した見出しと今でも新聞仲間の話題に残る。 当時演劇部の上演でアドリブに「ナンバ粉」が話題になったという話もある。

豊中中学・高校の戦績

昭和21年から平成15年までの戦績は下記をクリックするとご覧になれます

各大会優勝チーム一覧(昭和21年〜平成15年) 

各ブロック大会優勝チーム一覧(昭和54年〜平成15年)は下表をクリックすると拡大してご覧になれます


豊中高校創立80周年記念誌に寄せられた送球部

昭和25年 第一回全日本高校ハンドボール選手権大会 優勝 

大会は 藤井寺の大阪ハンドボール競技場で高松宮殿下を迎えて開催され 本校朝日 薫主将が代表として宣誓した。 なお 自治会では夏季休暇中であるため全生徒に葉書を送って応援を呼び掛けた。

     長尾 吉田 奥野 中子 小寺 槙田
     寺村 森島   朝日    森  榎原
  豊中中学は全校生徒が応援に駆けつけた

昭和26年度 大阪府春季・秋季総合体育大会優勝

三年 中村武人 小寺 登
二年 片岡正次 平 良明 中島 徹 崎山英明 今西金幸    
      森広太郎 山路洋平 上原道也 佐藤昌弘
一年 上田達成 村上 正 浅野新一
大阪大会では右の優勝旗を獲得したが、西日本選手権では実力発揮できず

昭和27年度男子ハンドボール部

府民大会・全日本高校選手権・国体予選・近畿総体・西日本の5大会に優勝した

左から後列 村中、草井、上田、本田、平良、中島、瀬恒 村上    前列    片岡、上原、今西、佐藤、森 、浅野、崎山

第三回全日本高等学校ハンドボール選手権大会

第7回国体 準々決勝に駒を進めるも抽選で涙を飲む

昭和27年10月19日〜23日 福島県福島市

2回戦 豊中 12−5 安積(福島)
準々決勝 豊中 5−5 山口(山口) 延長引き分け。 抽選で山口の勝ち

昭和29年 第五回全日本高等学校ハンドボール選手権大会
桜台高に敗れ惜しくも2位
5名が優秀選手に選出される

エピソード 高松宮妃殿下インタビュー (19748月)

高松宮妃殿下は日本ハンドボール協会の名誉総裁でもあられた。 
豊陵新聞は、同協会副会長だった馬場太郎先生の「さりげない取りなし」で、
高松宮殿下・妃殿下にそれぞれ取材インタビューしてそのつど記事を掲載した。
この記事は、1954年(昭和298月藤井寺球場での全国高校ハンドボール大会決勝戦で、
豊中高校が愛知・桜台高に敗れた後に行われた時のもの。
高校生記者団は「あがってしもうて、トンチンカンな質問もしたが、
妃殿下は楽しそうに笑われながらきちんと答えてくださった」というのが当時の思い出である。

昭和28年 第8回国体秋季大会  函館工に破れ3位入賞

昭和28年10月22日〜26日 愛媛県今治市

2回戦 豊中 11−4 和歌山商(和歌山)
準々決勝 豊中 9−7 彦根東(滋賀)
準決勝 豊中 4−5 函館工(北海道)
三位決定戦 豊中 3−2 岩国工(山口)

昭和29年 第9回国体秋季大会

昭和29年8月22日〜26日 北海道函館市

1回戦 豊中  9−3 山口(山口)
2回戦 豊中 11−5 世田谷工(東京)
準決勝 豊中 11−9 函館工(北海道)
決勝  豊中 7−9 済々黌(熊本)

9回国体(北海道)は函館で行われ、決勝戦に進出したが9−7で惜敗
この試合、熊本・済々黌のただ一人の選手のシュートで全得点を
奪われたことを深江氏は今も口惜しがっている。

昭和30年 第10回国体 

神奈川県平塚市 昭和30年10月31日〜11月3日

昭和301031日 高校9期 富川 健氏 送球日誌

昭和23年 女子ハンドボール部創設  

昭和23年創設の女子ハンドボール部は次の時代への基礎固めの段階 後輩活躍の源となった努力が、小引さんの秩父宮記念大阪府体育振興会からの表彰につながった。

第1回 全日本総合室内選手権大会

昭和29年12月26日〜28日 大阪府立体育会館

1回戦 豊中 0−5 都南ク(大阪)


女子ハンドボール部(89期生 昭和31年・32年卒業)
後列左から 野本 高津 山本 上原
前列左から 杉本 小引 上島 栗山 奥津

小引主将率いる新チームハンドボール

表彰状 大阪府立豊中高等学校 小引照子 
秩父宮記念大阪府体育振興会 昭和3131

第11回国体  桜台高に破れ惜しくも優勝を逃す

昭和31年10月28日〜11月1日 兵庫県加古川市

準々決勝 豊中 10−5 津山(岡山)
準決勝  豊中 9−7 函館工(北海道)
決勝    豊中 11−12 桜台(愛知)

高6期 深江幸次郎氏 第四回世界室内選手権大会 日本代表チームに選ばれ 副主将としてヨーロッパ各地を遠征

第4回世界室内選手権及びヨーロッパ転戦の詳細は写真をクリックするとごらんになれます

昭和38年 女子ハンドボール部 5大会制覇

全国大会大阪予選、国体予選(高校総体)、近畿高校選手権、
近畿総合国体予選、大阪高校新人戦の5大会に優勝した

左から 小山紀子、関富美恵、岡本葵、住田勝子、飯田節子、岩津友巳

昭和38年度女子ハンドボールを支えた20

昭和38年 第18回国体

昭和38年10月28日〜11月1日 山口県徳山市

準々決勝 豊中 11−7 水海道二(茨城)
準決勝  豊中 4−13 徳山(山口)
三位決定戦 豊中 3−8 山陽女(広島)

昭和38年第14回全日本高校選手権

8月4日〜9日 山梨県富士吉田市

1回戦 豊中 18−0 川崎市立(神奈川)
2回戦 豊中 4−16 静岡城北(静岡)・・・(優勝校)

このユニフォームで女子ハンドボール部は大阪で優勝し初出場の国体で活躍した     高14期 井上(磯井)弘子さん提供

昭和45年 第25回国体

昭和45年10月11日〜15日 岩手県盛岡市

準々決勝 全大阪 10−3 全広島
準決勝  全大阪 7−4 新浜市商(愛媛)
決勝    全大阪 9−4 岐阜選抜





服部(旧姓石黒)和子さん(高23期)は国体の大阪高校選抜に選ばれ、第25回盛岡国体で活躍した
名ゴールキーパー 強いシュートをあざやかに防ぐ 
盛岡市の大通りにぶらさげられていた大会旗を貰ってチームメイトに寄せ書きをしてもらったという。

朝日テレビ「Newsゆう」を担当する橋詰優子アナウンサーは
豊高在学中ハンドボール部で活躍した(背番号 6)

45期生卒業アルバムより 前列左から3番目は橋詰さん

平成16年5月 対茨木東高校戦のスナップ

  この試合に勝って中央大会に進む

平成16年春の女子ハンドボール部員