展示ケースから@ 豊陵資料室 __________

通知簿と入学願書


4通の通知簿がある。

豊中中学当時のものは昭和10年と14年。約20センチ四方の厚手の用紙2つ折り、成績は10点法。教科の中には修身・公民もあり、体操科は体操・教練・武道に分けられている。

出欠記録と身体検査の記録もあるが、当時の全国中学生の平均身長・体重一覧表も印刷してある。ちなみに中5(今の高2)の身長は160センチ、体重は52キロである。


昭和24年の通知簿は20×10センチで2つ折り、質の悪い薄手の用紙にガリ版刷り、成績は優良可。戦後の物不足の証明である。

豊高紛争時代直前の昭和43年の分は約40×9センチの横長で2つ折り、40点未満には赤線が引かれている。そして注目すべきは全学年の席次の記入、進学校指向の1つの現れか(紛争以降は姿を消した)。

 

通知簿の隣に昭和14年度の入学願書がある。比較的小さく18×13センチの縦書きであるが、記入欄は細かくて記載しにくい。


しかしこの書類で注目したいのは族称記入欄(士族・平民等を記入す)。族称については中学14回の卒業証書まで氏名の右上に記されていた(この証書も展示されている)。

さらに現代人の眼から見て奇異にすら感じるのが次の文である。「右ハ今般御校第一学年ニ入学志願ニツキ御考査ノ上入学許可相成度御願候也」。戦前の公文書はいわゆる候文でごく当たり前のことであったが、同じく展示資料の中の母の会による運動会当日の食券申込書にも「領収到候」とあった。展示資料はその時代、時代を如実に示していると言えよう。


(浅井)